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Tael&Tatl テールとテトル

おしゃべり好きの暴露話。

知識が外部化し学習が不要になる社会は来るのか

こんにちは、鳴海です。

SNSで色んな情報を追っかけていると様々な興味深い論争を拝見します。巷で話題の「XX学園が~」だったり、「XX大臣のーーな発言が~」だったり、ニッチなところでは「地域社会は~」や、「不動産価値と空き家は~」だったり、話題はつきません。

それらの論争に横槍突っ込むのは「飛んで火に入る夏の虫」だと思いますし、そんな知識のない20代がアレコレ言うて解決する問題じゃないので、「わりかし意見を色々行っても大丈夫そうな議論」である「読書の価値、知識社会と格差」について考えてみます

 

知識社会とそれを起因とする格差

最近(と言ってもここ1-2年の話ですが)たまに「知識社会と格差」と言った言葉を耳にすることがあったりします。主にTwitterで言われているだけなので、世の中であーだこーだ言うたのを聞いたわけではありませんが、簡単に言うと「知識量と所得は相関関係にある:知識差が格差を拡大する」と言った意見です。個人的にはこの意見は同意します。「知識が人の選択の精度を高める傾向がある」と思っていますし、人間が生き延びれたのは生物の淘汰の中で学習したりして選択の精度が高まったり相対的に強いものを得たからであると考えるので、その理屈を現代に当てはめても「賢く未来を予見できる個体の生存率が上がる」はなってしかるべきかと思います。

他にも具体例をあげるとしたら、バブル崩壊リーマンショックをある情報筋や知識網から予期できた人たちは大金持ちになっているでしょうし、不動産の価値の話でも「今後日本の人口が減少し、都市に人口が集中する、その結果地方の不動産価値は減退する」と知っていたらわざわざ今後地方都市の利便性が低いところに家を購入する選択はしないでしょうし…。といった感じです。

 

教育機関での詰め込み方式の教育に対する批判もありますが、ある程度知識が詰まっていなければ俯瞰的に物事をみることができなくなりますし、想定される予測も立てづらくなります。

 

知識がいらない社会が来る可能性

それとは別ですが、「今後テクノロジーの発展により、知識はもはや人間が保有する必要はなくなる」と言った考え方もあります。

(この方も可能性を言及されているだけで、その社会に意見があるわけではないです) 

この考え方、理解できないこともないです。将来的に人間の脳がネットワークにつながれてそれにいつでもアクセスしつついきていくことが出来る社会が来るかもしれない。

すごくSFチックで面白い発想だと思いますし、(楽観的な思考ですが)ホント下手したら100年以内に実現していてもおかしくないとも思います。

 

ここで考えられる問題点はいくつか

・実現された際に生まれる社会(発明による影響範囲)

・実現された際に発生しうるトラブル

・実現可能性

順に考察していきましょう。

発明の影響範囲

計り知れません。第一、この影響範囲はどこまでのデータにどの速度でアクセスできるのか、どこまでそれぞれのデータを統合的に脳内で編集できるのかに依存します。世界の全気象データを一瞬で演算できるようになったりすれば、どこかのラノベ樹形図の設計者みたいに気候もゲリラ豪雨も予測できるでしょうし、国会の答弁や国際情勢のニュースを全部入れたらどの政治システムが人類の歴史上成功したものだったのか、なども判断できるようになってしまうかもしれません。全人類がそのようなデータを”いつでも”読めるようになっている必要性はおそらくありませんので、そこから得られるデータは限定されたもので、個人の脳内にSDカードやなんかの形で保存されるかと思います。そうなればもはやターミネーターやベイマックス、ドラえもんと一緒ですね。イメージとしては各自がそれぞれPCを持っていて、必要に応じてウェブの世界から取ってくる、必要なタイミングだけインターネットにアクセスする、と言った形での情報保存がされるようになると考えられます。

そうなると、結局今のPC(またはスマホ)+インターネットの現代社会と大差なく、情報の処理が現在の人間よりもかなり上手になった人間になり、インプット(教育コスト)がSDカードなどの普及で大幅に削減し、同一な人間がたくさん生まれる社会になる、という感じでしょうか。記憶データが大事で、実際の記憶はあまり必要なくなる…となると、生きているのか生かされているのかわからなくなります。

これ以上行くと倫理的な議論に発展しそうなので、影響範囲に関する考察はひとまずこれくらいにしましょう。

とりあえずまとめるとすると、僕個人の意見は「集合知による知識の保存の外部依存化は教育コストを下げるが、それは全員に同一な教育や知識を与えることを意味し、逆に多様性を喪失させ、人間性を弱める。効率化は図れるが倫理的な問題、多様性の問題に直面することとなる」というものです。

 

利用の上での問題点

先程紹介したまるでターOネーターとか、ベイOックスとか、そのへんの話を聞いているとイメージも湧くかもしれませんが、一番の問題点は「その技術を活用できなくなった際どうなるのか、トラブルシューティングについて」です。仮に自分のなかにHDDを持っていてそれをつかって毎日の生活を行うことが出来ても、そのHDDが消滅すればできなくなる、と言った状況は作るべきではないでしょう。故障時にまたたくまに植物人間になってしまう、では脆弱すぎますし、だからといって身体の中に分けてHDD保存するのか、と言っても脳までつなぐ回線切れたら一緒になってしまうので、リスク低減には役に立ちますが根本的解決ではない。

じゃあ結局は「無くてもある程度行きれるようにするしかない」というのが簡単な解決手段で、「そのテクノロジーにおんぶにだっこな環境を作るべきではない」ということになるかと思います。おんぶにだっこではテクノロジーに支配されていると言っても過言ではありません。(現代も電気というテクノロジー支配されているといえばそうかもしれませんが…)

 

実現可能性について

冷静に考えるとかなりきつめです。

メリットの享受者と、支払いコストの責任者がかけ離れている事が原因です。

 

これは自動運転の車にも同じことが言えるのですが、「個人で支払うにはコストが大きすぎるし、政府が国民全員に与えることメリットとコストを考えてもコストがでかすぎる」からです。

オートパイロットの自動車、夢物語みたいで素敵ですね。じゃあその車、どうやって作られているのか。恐らくセンサーなり動作危機なりアプリなりを「普通の車の上にカスタマイズして装備する」というのが妥当な作られ方だと思います。今普通の車でさえ100万円以上するのに、それらが付属されるとすると車の値段ももう一つゼロが余分につくのではないでしょうか。

そういった意味で低所得層や中所得層に「個人保有として」普及することはなかなか現実的ではないと思います。じゃあどこが投資してどこが使うのか?というと、企業や政府になります。全員に貸し与えるのではなく、「企業のビジネスの一つとして社内で何台か保有する」、「市政で何台か保有してそれらを効率的に使う」となるのがコスト面で考えると妥当な導入方法です。

同じように考えて、そのテクノロジーが普及するのに多大なコストがかかり、かつそれを消費者が負担できる、または負担しても活用したいとなる社会はなかなか訪れにくいので、実現可能性においても「現時点では」低いかと思います。

 

終わりに

20前半の若造がアレコレ意見をぶつけてみましたが、こういった思考は四半期に一回出来るようにしておくと頭が鈍らなくていいのではないかなぁと思いますし、社会に対してさまざまなアプローチ方法で思考できるようになると思うので、おすすめです。

また他にも意見がありましたらぜひお聞かせ下さい。空想的な未来のイメージも建設的な議論も僕は好きですので、よければ相手をしてもらえるとうれしいです。

 

鳴海