Tael&Tatl テールとテトル

おしゃべり好きの暴露話。

みんなが学歴にこだわる理由とぬけ出す方法

こんにちは、鳴海です。

先日さんま御殿でインテリとノンインテリのトークを見ていて、なんで学歴的ヒエラルキーが発生するのかについてある仮説が思い浮かびました。自分なりに考えてみたことをまとめてみようと思います。

 

学歴ヒエラルキーがあってスポーツヒエラルキーがない理由

そのテレビ番組ではインテリ側のヒャダインさんが「僕らは学歴で上に行ってそれを周りの人に言うと煙たがれるが、スポーツ選手となるとすごい勢いで褒められる」とっていました。

このような状態になっている理由はいくつかあると思います。

①学歴保持者が威張り散らす(権力を振りかざす)事例がいくつかあった

②そもそもスポーツヒエラルキーは参加者としてではなく観客としてみるが、学歴はほぼ全員が参加者

 

順番に解説していこうと思います。

 

 

①学歴保持者が威張り散らす(権力を振りかざす)事例がいくつかあった

 

仮にすべての賢い人が素晴らしい人であれば、学歴のある人=聡明で礼儀正しい人、という図式が成り立ち、学歴の高い人に対する評価は良くなると考えられます。ですが実際世の中には学歴を振りかざし権力を主張する方が多く、そういう方が身近であるから悪い印象を持っている、という方もいるのではないでしょうか。

 

 

②そもそもスポーツヒエラルキーは参加者としてではなく観客としてみるが、学歴はほぼ全員が参加者

現代は大学全入時代で、殆どの人が大学に行っているため、どの大学がどれだけ賢いのかがある程度認知されています。その中で、自分の希望した大学に行けなかった人も必ず発生します。そういった中で、僻み的な勘定から高学歴がいけ好かないと感じる人も多いのではないでしょうか。つまり、コンプレックスを持っている方が多いからです。

もしも全員が参加者じゃなければ第三者としてその競争を見て、ストレスを抱えずに見ることが出来ますが、参加者としてあいつに勝てここには入れと言われたら大変なのはお察しだと思います。もしかしたらスポーツの中でもそういう指示や喝を入れることが日常的にあるのかもしれませんが…

 

つまり?

つまり、

1,学歴競争が発生し、成功者と失敗者が発生する

2,成功者を僻む失敗者が一定数発生する

3,社会的に「失敗してはいけない」という風潮に流れるが、定員は決まっており失敗者が増え、また成功者の中で権力を誇示する人が現れる

4,上記2-3の循環が何世代も続く

という形でサイクルしているように思えます。

 

結局はみんな社会的評価を意識して苦しんでる

こういった変なサイクルからぬけ出すのは、「社会的な評価」他者から見ての評価に依存しているからだと思います。「自分の評価軸」で生きている人はこういったコラムを書いている方が多いので、当たり前な人にとっては当たり前かもしれませんが、僕がこの考え方をしれたのは最近です。

お母さんに褒められたから幸せ、友達が認めてくれたから幸せ、はもちろん合っていいと思います。しかしそれが生きる一番の目的になってしまったら余命僅かなときに「他人に喜んでもらうための人生だったな」ってなってしまいかねないと思います。

そうしてほんとうに自分がしたかったことができなくなる前に、僕はこのアイデアをしれたので良かったですが、個々の社会的評価と自己評価の間で葛藤している方がいたら下の本を読んでみてください。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

鳴海